「生」を捉え直す
浅草キッド・水道橋博士 Hakase Suidobashi
漫才師。1962年、岡山県出身。1986年、ビートたけしに弟子入りを果たし、翌87年に玉袋筋太郎さんと「浅草キッド」を結成。1990年、「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日)で10週勝ち抜きチャンピオンとなる。1991年に「オールナイトニッポン」(ニッポン放送・月曜第2部)のパーソナリティに、1992年に「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)などにレギュラー出演。1997年、公式サイト『浅草キッドのKid Return』を開設。雑誌にコラムやエッセイなどを執筆する他、浅草キッド名義だと『お笑い男の星座』(文藝春秋)シリーズ、『発掘』(ロッキングオン)、単著では『博士の異常な健康』(アスペクト/幻冬舎文庫)、『筋肉バカの壁』(アスペクト)、『本業』(文藝春秋)など著書多数。
公式サイト:http://www.asakusakid.com/
ツイッター:http://twitter.com/s_hakase
かつては「今日死んでも、明日死んでも構わない」と考えていたという水道橋博士さん。そこには芸人たるもの、自堕落で破滅的な生き様をするべきだという強いこだわりがあった。しかし、40代を迎えると生活は一変。水道橋博士さんは徹底した健康志向に転じるのだ。“不惑”を迎え、健康に目覚めた理由とは――。
「今振り返ると昔は『いつ死んでもいい』という“狂気”がなければ一流の芸人にはなれないという脅迫観念にとらわれていたのかもしれません。ところが、自分の子供が生まれたとき、『絶対に俺は死なない』という気持ちが沸き上がってきた。『今日死ぬのも、明日死ぬのも絶対にイヤだ!』と痛烈に思ったんです」
また、父親の死も大きな影響を与えたという。水道橋博士さんは家出同然に芸能界に飛び込み、勘当同然の状態が10年近く続いていた。兄の結婚式をきっかけに両親と再会。長年の確執がようやく解けた頃、父親が脳溢血で倒れる。幸い命はとりとめたものの、その後、腎盂癌が発覚する。
「晩年の父親は半身不随で言葉も失い、いかに無念だったことかと思います。平均寿命を考えれば、すべての人は、生まれながらにして余命80年の“末期がん患者”だとも言える。ならば、『死』というゴールを見据え、全力疾走のまま、走り抜きたい。それこそが理想の生き方であるという価値観にシフトしたんです」
水道橋博士さんは自らを“実験台”とし、当時はまだ珍しかったレーシック手術や加圧式トレーニング、ファスティング(断食)などに次々に挑み始める。そして、44歳にして周囲も驚愕するほどの“増毛”に成功するなど、数々の成果を上げる。その過程を綴った『博士の異常な健康』(アスペクト)と、その続編にあたる『筋肉バカの壁』(同)は累計10万部を超えるベストセラーとなった。






