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広がり続ける活動のフィールド

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おちまさと

おちまさと Masato Ochi

プロデューサー。1965年、東京都出身。「学校へ行こう」(TBS)や「空飛ぶグータン」(CX)など数多くのテレビ番組をはじめ、インターネットサイトやCD、DVD、書籍のプロデュース、企業ブランディングや広告などの企画・演出・製作など、幅広いジャンルで活躍する。テレビやラジオ、イベントなどの司会を務める他、さまざまな企業の経営にも参画。また自ら『対談師』という職業名を付け、これまで数多くのハリウッド俳優・監督や芸能人、ベンチャー企業の社長、ファッションデザイナーをはじめ、普通は表舞台に現れない有名人たちとの対談に成功している。 『会議質』(ダイヤモンド社)、『鉄板病』(NHK出版)、『社長の腹』(扶桑社)、『時間の教科書』(NHK出版)など著書多数。

オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/ochimasato/

月刊『フィナンシャルジャパン』誌上で政治家との対談を連載するなど、おちさんは政治にも造詣が深い。『舛添要一・39の毒舌』『小沢一郎総理(仮)への50の質問』といった政治にまつわる書籍のプロデュースも手がける。子どもの頃から政治の世界に興味があったそうだ。

「僕は格闘技が好きなんですが、政治の世界と格闘議界はよく似ているんです。プロレス界に遅れること数年、政界でも新党乱立が起こっている。ただ、残念なことに政界には『K-1グランプリ』に該当するほどの“革命的変化”は生まれていないんです」

K-1グランプリが登場以降、女性ファンが増え、格闘技はおしゃれなデートイベントの一つに数えられるようになった。かつての格闘技界の雰囲気とは隔世の感があるという。

「政界にK-1並みの変化をもたらすのは並大抵のことではありません。ものすごい数の人員も必要だろうし、何よりそこまで深入りして大丈夫なのかという不安もある。なんといっても、ルールブックの1ページ目に『裏切りあり』とデカデカと書いてあるような世界ですから」

生半可な気持ちでは踏み込めない。そう感じながらも、おちさんが政治の世界に積極的に関わり続ける理由とは――。

「今なら、まだ日本を何とかできるかもしれないというのが一番の理由です。日本は登山でいうと“下山”のタームに突入し、今後これまで以上に問題が噴出するであろうことは目に見えています。だからこそ、今のうちに手を打ちたい。少しでもマシな状態になるよう、プロデュースしたいんです」

“正解”に向かって走るのではない。走るから、正解が見えてくるのだ。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

転機と向き合う

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おちまさと

おちまさと Masato Ochi

プロデューサー。1965年、東京都出身。「学校へ行こう」(TBS)や「空飛ぶグータン」(CX)など数多くのテレビ番組をはじめ、インターネットサイトやCD、DVD、書籍のプロデュース、企業ブランディングや広告などの企画・演出・製作など、幅広いジャンルで活躍する。テレビやラジオ、イベントなどの司会を務める他、さまざまな企業の経営にも参画。また自ら『対談師』という職業名を付け、これまで数多くのハリウッド俳優・監督や芸能人、ベンチャー企業の社長、ファッションデザイナーをはじめ、普通は表舞台に現れない有名人たちとの対談に成功している。 『会議質』(ダイヤモンド社)、『鉄板病』(NHK出版)、『社長の腹』(扶桑社)、『時間の教科書』(NHK出版)など著書多数。

オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/ochimasato/

おちさんは「学校へ行こう」(TBS)や「ガチンコ!」(同)、「桑田佳祐の音楽寅さん〜MUSIC TIGER〜」(フジテレビ)など、数々のヒット番組を世に送り出してきた。幼い頃から「面白いことが考えるのが得意」だったという。

「自分には面白いことを思いつく才覚があると、子どもながらにうっすら自覚していました。でも、どう活かせばいいのかわからない。そんな時に出会ったのが映画『ジョーズ』。演出の凄さに夢中になり、将来は映像の世界に行こうと決めました」

本格的に映像の世界に足を踏み入れることになったのは20歳のとき。バラエティ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「放送作家オーディション」に勝ち抜き、テリー伊藤氏に師事することに。放送作家・おちまさとが誕生した瞬間だ。

「20代は夜も昼もなく、がむしゃらに働いていました。週に20本以上もレギュラー番組を担当させてもらえるようになり、仕事にやりがいも感じていたけれど、その一方で放送作家という仕事に疑問を感じるようになった。視聴率が悪くても、最終責任はプロデューサーやディレクターにある。そんなあやふやな状態を脱出したいと強く思うようになったんです」

結果が良くても悪くても全責任を負いたい。その一心で独立し、事務所を構えた。 同時に、おちさんはテレビ以外にも仕事のフィールドを広げ始める。

「今振り返ってみると、僕がやりたかったのは“企画”の仕事で、たまたま、テレビの世界からスタートしただけ。このまま、放送作家を続けていたら、テレビと心中することになりかねないという危機感もあったのかもしれません。洋服の仕事もやりたいし、車も作ってみたい。いずれは街づくりもプロデュースしてみたい……といまだに夢は尽きません」

選択を迫られる瞬間が訪れたとき、行動を起こし続ける。そんな姿勢が転機を掴み、己の可能性を広げるのかもしれない。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

“低予算”こそ燃える理由

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おちまさと

おちまさと Masato Ochi

プロデューサー。1965年、東京都出身。「学校へ行こう」(TBS)や「空飛ぶグータン」(CX)など数多くのテレビ番組をはじめ、インターネットサイトやCD、DVD、書籍のプロデュース、企業ブランディングや広告などの企画・演出・製作など、幅広いジャンルで活躍する。テレビやラジオ、イベントなどの司会を務める他、さまざまな企業の経営にも参画。また自ら『対談師』という職業名を付け、これまで数多くのハリウッド俳優・監督や芸能人、ベンチャー企業の社長、ファッションデザイナーをはじめ、普通は表舞台に現れない有名人たちとの対談に成功している。 『会議質』(ダイヤモンド社)、『鉄板病』(NHK出版)、『社長の腹』(扶桑社)、『時間の教科書』(NHK出版)など著書多数。

オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/ochimasato/

おちさんにはさまざまな名言がある。「低レベルな“結果”を予算のせいにするな!」もその一つ。予算が限られていても面白いものは作れるというのが、おちさんの持論だ。

「僕はむしろ低予算のほうが燃えます。『低予算だからムリ』というのは、企画力がないことを公言してるようなものでしょう。企画力があれば、予算が少ない分をカバーできる。そもそも、お客さんには予算がないかどうかは関係ない。『深夜番組で予算は200万円くらいだから、この程度のクオリティで仕方がない』と大目に見てくれるだろうと思ったら大間違い(笑)」

予算はないけれど、クオリティが高いものを作ってほしい。そんな“矛盾”をつきつけられると、つい嘆きたくもなる。しかし、嘆きや言い訳からは他人の気持ちを揺さぶり、感動させるアウトプットは生まれないのだ。

「不況のしわよせで、現場が苦しくなっているのは厳然たる事実。でも、逆にいえば、純粋にアイディアで勝負できる時代が到来したという見方もできるんです」

実際、おちさんは低予算という不利な条件を覆し、数々のヒット番組を生み出してきた実績がある。どうすれば、おちさんのような企画力を身につけられるのか。

「例えば、ワリカンを禁止してみるのもひとつの方法です。デートの時は必ず奢る。 5000円しか手持ちがなくても、2人でお金を出し合えば、1万円分の遊びができてしまう。考えなくてもそこそこ楽しめてしまうんです。でも、全部一人で払おうと思うと、工夫する必要が出てくる。現時点で自由になるお金が少なければ少ないほど、いいトレーニングになりますよ」

制約の中で徹底的に思考を巡らせる。その積み重ねが新たなアイディアをもたらし、斬新な発想を生み出し続ける土壌となるのだ。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

おちまさと流「選択と集中」

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おちまさと

おちまさと Masato Ochi

プロデューサー。1965年、東京都出身。「学校へ行こう」(TBS)や「空飛ぶグータン」(CX)など数多くのテレビ番組をはじめ、インターネットサイトやCD、DVD、書籍のプロデュース、企業ブランディングや広告などの企画・演出・製作など、幅広いジャンルで活躍する。テレビやラジオ、イベントなどの司会を務める他、さまざまな企業の経営にも参画。また自ら『対談師』という職業名を付け、これまで数多くのハリウッド俳優・監督や芸能人、ベンチャー企業の社長、ファッションデザイナーをはじめ、普通は表舞台に現れない有名人たちとの対談に成功している。 『会議質』(ダイヤモンド社)、『鉄板病』(NHK出版)、『社長の腹』(扶桑社)、『時間の教科書』(NHK出版)など著書多数。

オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/ochimasato/

どんなに忙しくても“衣食住”をおろそかにしないという、おちさん。家族との食事を愉しみ、週に一度のぺースでショッピングに行く。仕事もプライベートも充実した余裕ある大人のライフスタイルを実現させる秘訣とは――。

「まず、『時間は誰にでも等しく与えられている』という思い込みを捨てることです。要領がいい人は、“ながら作業”に強い。『食事をしながら、人と会い、ついでに打ち合わせも済ませる』といったように同時進行でタスクをこなし、結果、自分の持ち時間を増やせる。時間を“残り寿命”と捉え、ボーッとしている間にも着々と死に近づいていると考えれば、1分1秒が惜しくなる。『明日やればいいや』などと先延ばしにできなくなりますよ」

おちさんは無類のファッション好きとしても知られる。ハイブランドから気になるストリート系のショップまで週に一度は足を運ぶ。しかし、「ほとんど購入しない」という。

「洋服を購入するのは、戦いのようなものだと思うんですよ。自分が気に入っているものを選び抜いて、クローゼットに入れる。そのセレクトの過程が面白い。例えば、同じデザインのTシャツが白と黒、両方あるといったときに、色違いで買ってしまってはつまらない。試着して悩んで、悩み抜いて選ぶ。そこにある諦めも含めて、ショッピングの愉しみなんです」

無数の選択と諦めを繰り返すこと。それは選球眼を養う格好のトレーニングとなり、おのずとセンスも磨かれていく。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

“枠”を超える瞬間

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おちまさと

おちまさと Masato Ochi

プロデューサー。1965年、東京都出身。「学校へ行こう」(TBS)や「空飛ぶグータン」(CX)など数多くのテレビ番組をはじめ、インターネットサイトやCD、DVD、書籍のプロデュース、企業ブランディングや広告などの企画・演出・製作など、幅広いジャンルで活躍する。テレビやラジオ、イベントなどの司会を務める他、さまざまな企業の経営にも参画。また自ら『対談師』という職業名を付け、これまで数多くのハリウッド俳優・監督や芸能人、ベンチャー企業の社長、ファッションデザイナーをはじめ、普通は表舞台に現れない有名人たちとの対談に成功している。 『会議質』(ダイヤモンド社)、『鉄板病』(NHK出版)、『社長の腹』(扶桑社)、『時間の教科書』(NHK出版)など著書多数。

オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/ochimasato/

テレビ番組の企画・構成から、ラジオの司会や書籍の執筆、企業ブランディングにプロダクトデザインまで、さまざまなジャンルで企画・プロデュースを手がける、おちまさとさん。業界や職種といった“枠”を軽々と飛び越え、活躍する。だが、おちさんは「ジャンルを超えたい、超えようと意識したことはない」という。

「僕はずっとひとつのことをやっているんです。企画を立て、実現し、結果を出す。その対象がテレビや書籍、ファッションとその都度変わるだけ。小沢一郎さんの書籍も、キティちゃんとファッションブランドのコラボプロジェクトも、僕にとっては同じ“企画”の仕事ですから」

2008年当時、民主党代表だった小沢一郎との共著『小沢一郎総理(仮)への50の質問』(扶桑社)では、「剛腕」や「壊し屋」といった従来のイメージとはまったく違う、“素”の小沢一郎に迫った。そして、ほぼ同時期に「ハローキティ」をカスタマイズし、“ファッション”として世に送り出す『クラッシュハローキティプロジェクト』の総合プロデュースにも携わる。既成概念にとらわれない発想はどこから来るのか。

「日常の中にある疑問であり、不満ですね。例えば、小沢さんの書籍でいうと、『小沢一郎の正体ってじつは、誰も知らないんじゃないか』とふと気づいたことがきっかけ。知らないことは知りたくなるのが僕の性分。当時は政治家の知り合いなんて一人もいなかったし、当然コネもない。でも、20年以上も仕事をしていれば、人脈をたどれば、どこかでルートがつながるものです」

目の前にある疑問や不満を解決するのは、見知らぬ誰かではなく、自分。その覚悟が視野を広げ、新たな気づきを呼び込む。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

「知の集積地」としてのツイッター

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浅草キッド・水道橋博士

浅草キッド・水道橋博士 Hakase Suidobashi

漫才師。1962年、岡山県出身。1986年、ビートたけしに弟子入りを果たし、翌87年に玉袋筋太郎さんと「浅草キッド」を結成。1990年、「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日)で10週勝ち抜きチャンピオンとなる。1991年に「オールナイトニッポン」(ニッポン放送・月曜第2部)のパーソナリティに、1992年に「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)などにレギュラー出演。1997年、公式サイト『浅草キッドのKid Return』を開設。雑誌にコラムやエッセイなどを執筆する他、浅草キッド名義だと『お笑い男の星座』(文藝春秋)シリーズ、『発掘』(ロッキングオン)、単著では『博士の異常な健康』(アスペクト/幻冬舎文庫)、『筋肉バカの壁』(アスペクト)、『本業』(文藝春秋)など著書多数。

公式サイト:http://www.asakusakid.com/
ツイッター:http://twitter.com/s_hakase

水道橋博士さんのツイッターには、お勧めの書籍から映画、TV番組、音楽、DVD、マンガなど多岐にわたる情報が飛び交っている。そのラインナップを見るとメジャー、マイナーといった“認知度”が重視されているわけでもないようだ。果たして、そのセレクトの基準とは……。

「最近もの凄く面白かったのは『BORN TO RUN』という本です。知ったきっかけは、コラムニストの小田嶋隆さんが週刊SPA!で書いていた書評です。小田島さんは非常に慎重な書き手で、思い入れたっぷりな文章を書くことが少ない。でも、この本のことは『ノンフィクションの奇跡』と評していた。こんなに発情している小田嶋さんの文章を読むのは初めてだったから、これは相当期待できるだろうと。この本は靴の存在を否定し、動物の中で長距離走が最も得意なのは人類であることを証明する。人生の中でBest3に入る本です」

また、常識を覆すという点では「SPIDER PRO」というハードディスクレコーダーにも注目しているそうだ。

「1週間分のテレビ番組を全チャンネル自動録画でき、グーグルのように“検索”もできるんですよ。テレビの広告モデルを強化し、業界を救う可能性すら秘めている。でも、テレビ局の人はハードディスクレコーダーと聞くだけで、“CMカットマシーン”と敬遠するんですよ。それが非常にもったいない。この間も『電波少年シリーズ』の“Tプロデューサー”として知られる、日本テレビの土屋プロデューサーを自宅に招いて、懇々と『SPIDER PRO』の素晴らしさをプレゼンしてしまった。広告料やバックマージンをもらっているわけでもないのに一体、何をやっているんでしょうね(笑)。でも、常識のほうが間違っていると、どうしても説明したい。そんな欲求に抗えないんです」

物事を俯瞰しながらも、変化の芽に細心の注意を払う。その伸縮自在な視野こそが、限界を越えて領域を広げ続ける秘訣なのかもしれない。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

“虚実の皮膜”を堪能する

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浅草キッド・水道橋博士

浅草キッド・水道橋博士 Hakase Suidobashi

漫才師。1962年、岡山県出身。1986年、ビートたけしに弟子入りを果たし、翌87年に玉袋筋太郎さんと「浅草キッド」を結成。1990年、「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日)で10週勝ち抜きチャンピオンとなる。1991年に「オールナイトニッポン」(ニッポン放送・月曜第2部)のパーソナリティに、1992年に「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)などにレギュラー出演。1997年、公式サイト『浅草キッドのKid Return』を開設。雑誌にコラムやエッセイなどを執筆する他、浅草キッド名義だと『お笑い男の星座』(文藝春秋)シリーズ、『発掘』(ロッキングオン)、単著では『博士の異常な健康』(アスペクト/幻冬舎文庫)、『筋肉バカの壁』(アスペクト)、『本業』(文藝春秋)など著書多数。

公式サイト:http://www.asakusakid.com/
ツイッター:http://twitter.com/s_hakase

水道橋博士さんは政治や経済への造詣が深く、政治ジャーナリストなどと並び、コメンテーター役を務めることも少なくない。だが、じつはもともと政治に詳しかったわけではないそうだ。2001年に政治家とのトークバラエティ番組「週刊アサ秘ジャーナル」(TBS)のレギュラーに抜擢されるまでは、政治への関心はほぼ皆無といっていいほどだったとか。

「よくぞ10年足らずの間にここまで来たなと思いますよ。『週刊アサ秘ジャーナル』以前は、選挙にすら行っていない。アントニオ猪木に一票入れたのが唯一の投票経験だったほど。自分では必死に資料を読み込み、一生懸命インタビューしていたつもりだったけど、改めて過去のVTRを今見ると、付け焼き刃ぶりがよくわかる。今ならもっと突っ込んだ質問ができるのに……と歯がゆい気持ちになりますね」

政治家たちの経歴やキャラクター、関係性といったバックグラウンドを理解する。すると、知識がなかった頃には見えなかった“虚実の皮膜”が浮かび上がってくるという。

「政治とプロレスはよく似ている。ヒーロー役、ヒール役といった役割分担があり、きちんとした決まり事に基づいて試合が展開する。でも、約束を守らないヤツもいるし、さまざまな思惑が入り乱れるから、思わぬ方向に事態が進むこともある。こうしたストーリーを先読みできるようになると俄然、政治が面白くなる」

情報は同じでも、読み解く人によって“解”は変わる。自分と異なる思考回路を愉しむ。それは十二分に知性が熟成した大人ならではの贅沢な遊びと言えるだろう。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

「生」を捉え直す

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浅草キッド・水道橋博士

浅草キッド・水道橋博士 Hakase Suidobashi

漫才師。1962年、岡山県出身。1986年、ビートたけしに弟子入りを果たし、翌87年に玉袋筋太郎さんと「浅草キッド」を結成。1990年、「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日)で10週勝ち抜きチャンピオンとなる。1991年に「オールナイトニッポン」(ニッポン放送・月曜第2部)のパーソナリティに、1992年に「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)などにレギュラー出演。1997年、公式サイト『浅草キッドのKid Return』を開設。雑誌にコラムやエッセイなどを執筆する他、浅草キッド名義だと『お笑い男の星座』(文藝春秋)シリーズ、『発掘』(ロッキングオン)、単著では『博士の異常な健康』(アスペクト/幻冬舎文庫)、『筋肉バカの壁』(アスペクト)、『本業』(文藝春秋)など著書多数。

公式サイト:http://www.asakusakid.com/
ツイッター:http://twitter.com/s_hakase

かつては「今日死んでも、明日死んでも構わない」と考えていたという水道橋博士さん。そこには芸人たるもの、自堕落で破滅的な生き様をするべきだという強いこだわりがあった。しかし、40代を迎えると生活は一変。水道橋博士さんは徹底した健康志向に転じるのだ。“不惑”を迎え、健康に目覚めた理由とは――。

「今振り返ると昔は『いつ死んでもいい』という“狂気”がなければ一流の芸人にはなれないという脅迫観念にとらわれていたのかもしれません。ところが、自分の子供が生まれたとき、『絶対に俺は死なない』という気持ちが沸き上がってきた。『今日死ぬのも、明日死ぬのも絶対にイヤだ!』と痛烈に思ったんです」

また、父親の死も大きな影響を与えたという。水道橋博士さんは家出同然に芸能界に飛び込み、勘当同然の状態が10年近く続いていた。兄の結婚式をきっかけに両親と再会。長年の確執がようやく解けた頃、父親が脳溢血で倒れる。幸い命はとりとめたものの、その後、腎盂癌が発覚する。

「晩年の父親は半身不随で言葉も失い、いかに無念だったことかと思います。平均寿命を考えれば、すべての人は、生まれながらにして余命80年の“末期がん患者”だとも言える。ならば、『死』というゴールを見据え、全力疾走のまま、走り抜きたい。それこそが理想の生き方であるという価値観にシフトしたんです」

水道橋博士さんは自らを“実験台”とし、当時はまだ珍しかったレーシック手術や加圧式トレーニング、ファスティング(断食)などに次々に挑み始める。そして、44歳にして周囲も驚愕するほどの“増毛”に成功するなど、数々の成果を上げる。その過程を綴った『博士の異常な健康』(アスペクト)と、その続編にあたる『筋肉バカの壁』(同)は累計10万部を超えるベストセラーとなった。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

昨日の自分が問いかける

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浅草キッド・水道橋博士

浅草キッド・水道橋博士 Hakase Suidobashi

漫才師。1962年、岡山県出身。1986年、ビートたけしに弟子入りを果たし、翌87年に玉袋筋太郎さんと「浅草キッド」を結成。1990年、「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日)で10週勝ち抜きチャンピオンとなる。1991年に「オールナイトニッポン」(ニッポン放送・月曜第2部)のパーソナリティに、1992年に「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)などにレギュラー出演。1997年、公式サイト『浅草キッドのKid Return』を開設。雑誌にコラムやエッセイなどを執筆する他、浅草キッド名義だと『お笑い男の星座』(文藝春秋)シリーズ、『発掘』(ロッキングオン)、単著では『博士の異常な健康』(アスペクト/幻冬舎文庫)、『筋肉バカの壁』(アスペクト)、『本業』(文藝春秋)など著書多数。

公式サイト:http://www.asakusakid.com/
ツイッター:http://twitter.com/s_hakase

水道橋博士さんのブログは今年、開設14年目に突入した。昨年秋には今話題のミニブログ「ツイッター」にも参戦。同年9月にアカウントを開設し、11月下旬から本格的に始動すると、瞬く間にフォロワーが増え、現在では10万人を超えるフォロワーを擁する。

「自分のブログの過去ログを見ると起床から就寝、食事のメニューに至るまで、我ながら呆れるほど詳細に書き連ねています。いっそ、ツイッターでつぶやいた内容をブログにそのまま移植すれば、手間も省けるだろうと目論んだのですが……」

ツイッターには1回の発言あたり140文字以内という文字数制限がある。 水道橋博士さんが想定した“移植”とは、この短い一文の中に起承転結を盛り込み、さらに時系列に並べるだけで、日記として成立させるというものだった。結果、ブログ以上に事細かな内容をツイッターに書き込むことに。

「手間が減るどころか、かえって増えている気がします」

読書から映画鑑賞、子供との会話に至るまで、日常におけるすべての行動において、「他人への報告」が念頭に置かれているという。どんなに対象に没頭し、集中していたとしても、そんな水道橋博士さんの姿を冷静に観察する“もう一人の自分”がいるというのだ。

「『なぜ、ツイッターで1日の出来事を逐一報告する必要があるのか』、『そんなに人に好かれたいのか』など、自問自答のネタは尽きません。いっそツイッターやブログをやめれば楽になるのかもしれない。でも、『昨日まで書き続けてきたのに、なぜ今日は書かない。おかしいじゃないか』、『今日は昨日に比べて、書くに値しないということか』と“昨日の自分”が問いかけてくる。わずか140文字を埋めるために、いちいち葛藤せずにはいられない。そんな自分自身がホント、面倒くさいです(笑)」

目の前に立ちはだかるEDGEを超え、一つの解を見いだす。だが、それでもなお、思考を巡らせ続ける。その貪欲な探求心が、男としての凄みに拍車をかけるのだ。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

元祖・芸能人ブロガー生誕秘話

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浅草キッド・水道橋博士

浅草キッド・水道橋博士 Hakase Suidobashi

漫才師。1962年、岡山県出身。1986年、ビートたけしに弟子入りを果たし、翌87年に玉袋筋太郎さんと「浅草キッド」を結成。1990年、「ザ・テレビ演芸」(テレビ朝日)で10週勝ち抜きチャンピオンとなる。1991年に「オールナイトニッポン」(ニッポン放送・月曜第2部)のパーソナリティに、1992年に「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)などにレギュラー出演。1997年、公式サイト『浅草キッドのKid Return』を開設。雑誌にコラムやエッセイなどを執筆する他、浅草キッド名義だと『お笑い男の星座』(文藝春秋)シリーズ、『発掘』(ロッキングオン)、単著では『博士の異常な健康』(アスペクト/幻冬舎文庫)、『筋肉バカの壁』(アスペクト)、『本業』(文藝春秋)など著書多数。

公式サイト:http://www.asakusakid.com/
ツイッター:http://twitter.com/s_hakase

お笑い界きっての論客、元祖・芸能人ブロガー、希代の健康マニアなど、さまざまな顔を持つ浅草キッドの水道橋博士さん。未知の分野にも躊躇なく飛び込み、徹底的に掘り下げる。浅草キッド名義で発表した『お笑い男の星座2』(文藝春秋)が大宅壮一ノンフィクション賞の最終選考にノミネートされるなど、文筆家としても高い評価を集める。

1986年、23歳でビートたけしに弟子入りした水道橋博士さんは、浅草フランス座での修業を経て、翌87年に玉袋筋太郎さんと浅草キッドを結成。 たけし軍団の“若手”として「熱湯風呂に入ったり、海パン一丁で野山を駆け巡るといった体力芸」を求められ続けていた浅草キッドの2人に、転機をもたらしたのはブログだったという。

「ブログのおかげで、仕事の質がガラリと変わりました。体力まかせのリアクション芸だけではない、『“文系男子”としての浅草キッド』として認知してもらえたんでしょうね。インタビューやコラムの執筆、司会など、ホワイトカラーの仕事が一気に広がりました」

水道橋博士さんは、芸能人として最も早くブログを開設し、以来一日も欠かさず書き続けてきたという。そもそものきっかけは“変装免許証事件”による謹慎期間だった。

「謹慎中は外出も制限され、自由に発言することもままならない。処分自体には納得していたものの、こうも簡単に発言を封じられるのかとショックでもあった。でも、パソコン通信を始めてみると、そこには閉塞的な実生活とはまったく違う、自由にコミュニケーションがとれる空間が広がっていた。ネット環境さえあれば、自らの手で自らの声を発信できると実感した瞬間でした」

自らの手で自らの声を届ける“武器”を手に入れた。それは無数のしがらみから解き放たれ、新たな世界に一歩を踏み出すことにつながっていた。

  • 文・島影真奈美 text/SHIMAKAGE Manami

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