メタリカ
『デス・マグネティック』
神でも怪物でもないメタリカが、最新作で実践した無謀な“賭け” 約5年ぶりのニュー・アルバムで、本当に彼らは“1985年の自分たち”に戻ったのか?強靭な筋肉の鎧を身にまとった運動選手が、実は“ガラスの心臓”の持ち主だったりするのを知ったときに味わうのは、落胆よりもむしろ「ああ、あの人も同じ人間なんだ」という共感だったりする。メタリカを主人公とするドキュメンタリー映画、『メタリカ:真実の瞬間』を観たときにも僕は同じような感覚を抱いたものだ。
この作品は、基本的には彼らが2003年に発表したアルバム、『セイント・アンガー』の制作過程を追ったものだが、カメラが回りっぱなしの状況のなかでメンバーの交代劇をはじめとする幾つもの危機に襲われた“メタルの王者”は、数々の無防備な醜態をさらしている。長年の飲酒癖に起因するアルコール中毒。バンド内に持ち込まれる家庭内不和。メンバー同士が罵倒し合うシーンもあるし、セラピストに心情吐露したかと思えば、同じ相手に対して逆ギレするといった場面も収められている。
実のところ、僕自身はメタリカを神のように崇めてきたわけでもないし、過去、彼らの未成熟な部分や矛盾する言動などには、何度も取材などの機会に出くわしてきた。彼らを“完璧な人間”だと思ったことなど一度もない。が、それでも僕が衝撃をおぼえたのは、メタリカがパブリック・イメージを台無しにすることを恐れずにこの映画の公開に踏み切ったからだ。もちろんそれが可能だったのは、アルバム自体に自信があったからこそでもあるはずだが。
その『セイント・アンガー』から5年と3ヵ月。メタリカの新作が完成に至った。題して『デス・マグネティック』。プロデューサーには、怪物バンドと化してからのこのバンドにずっと携わり続けてきたボブ・ロックではなく、リック・ルービンが起用されている。
完璧な音作りよりも、“バンドに本質を取り戻させること”を得意技とする放任主義のルービンが今回バンド側に提示した命題は、“1985年への回帰”。すでに40代後半になりつつあるメタリカに、まだ30代になることにすら現実味を感じていなかった時代に戻ることを命じたわけである。
もちろんそれは、簡単なことではない。無邪気であろうとしても成熟が邪魔をするし、単純に過去の自分たちをなぞるようなことをすれば、セルフ・パロディの罠に陥ることになる。「考えるよりも、まず行動を!」という言葉の意味はわかっていても実践することが難しいのと同じで、「あの頃のモチヴェーションを取り戻せ!」みたいな注文には、大概の場合、無理がある。
が、もしも『デス・マグネティック』での彼らに、本当にルービンの注文に応えることができていたとしたら、それはタイムマシーンを発明することと同じくらいの快挙と言えるんじゃないだろうか。
実はこの原稿を書いている時点で、まだ筆者にはこの作品の全貌が把握できていない。特設サイトで新曲の断片やらレコーディング現場の映像やらが先行公開されているにもかかわらず、肝心の完成音源は解禁に至っていないからだ。しかし、正直、こんなにもメタリカの新作との対峙を待ち遠しく感じることは、久しくなかったように思う。それはもしかしたら、単純に“音”をいち早く聴きたいだけではなく、神でも怪物でもない、弱みもたくさん持ったメタリカが何かを証明してくれることを期待しているからなのかもしれない。一時は“人間以下”と言ってもいいような状態にあったメタリカに、本当に“あの頃”に戻ることができているのなら、それは同時に、僕らにもそれが可能だということの証しでもあるのだから。
スラッシュ・メタルの代表的存在として基盤を築いたのち、『メタリカ』(通称ブラック・アルバム)が2,000万枚を超えるセールスを記録し、ヘヴィ・メタルの枠を超越した存在としての地位を確立


