黒のコルベットでの不思議な共演
ドラフト6位の高卒ルーキーとして1992年に横浜大洋ホエールズ(当時)に入団した三浦選手は、1993年に初勝利を掴んだ後、順調にステップアップしていく。登板数は着実に増え、1997年には自身初となる2ケタ勝利――10勝を挙げた。プロ野球界においてエースナンバーと言われる18に背番号が変わった翌1998年には12勝。この頃から、三浦選手は横浜ベイスターズのエースの座に名実共に君臨することになっていく。
「ちょうどその頃、1997年に発売されたシボレー・コルベットのC5が気になっていたんですが、結果を出せたことで、乗り替えを決意したんです。もちろん色は黒でした」
ただし以前スープラを購入したときにはないハードルもあった。入団4年目、1995年の冬、三浦選手は結婚し、一家の主となっていたのだ。
「家のサイフは基本的に女房任せ。だから、スープラを手に入れたときとは違って、まず彼女に相談するところから始めるんです」
選んだのは、MT車。しかも念願だったというオープンカーである。
「この車にはいろいろエピソードがありましたね。東京ドームでの巨人戦からの帰り道、野村(弘樹・現ベイスターズ投手コーチ)さんを乗せ、屋根を開けて走っていたらいきなり雨が降ってきて、2人でトランクから屋根を出して取り付けたこともあります(笑)」
当時の横浜ベイスターズを支えた三浦、野村という右腕・左腕両エースの豪華な共演は、スタジアムではなく試合後の路上で行われていたのだ。
「ちょうどその頃、1997年に発売されたシボレー・コルベットのC5が気になっていたんですが、結果を出せたことで、乗り替えを決意したんです。もちろん色は黒でした」
ただし以前スープラを購入したときにはないハードルもあった。入団4年目、1995年の冬、三浦選手は結婚し、一家の主となっていたのだ。
「家のサイフは基本的に女房任せ。だから、スープラを手に入れたときとは違って、まず彼女に相談するところから始めるんです」
選んだのは、MT車。しかも念願だったというオープンカーである。
「この車にはいろいろエピソードがありましたね。東京ドームでの巨人戦からの帰り道、野村(弘樹・現ベイスターズ投手コーチ)さんを乗せ、屋根を開けて走っていたらいきなり雨が降ってきて、2人でトランクから屋根を出して取り付けたこともあります(笑)」
当時の横浜ベイスターズを支えた三浦、野村という右腕・左腕両エースの豪華な共演は、スタジアムではなく試合後の路上で行われていたのだ。



